About us

とにかく「党派色がない」団体です。((とうはしょく??(‘・c_・` ;)??))


「◯◯党を支持する」「政治家の◯◯さんを支持する」

.............それ以前の問題に着眼点をあて、




「あなたが抱いている悩みは、政治と無関係ではないんでしゅと伝えています。((あ、噛んだ! アヒャヒャヘ(゚∀゚*)ノ))



そのため「いちこくみんでは」いろいろな方の悩みをアンケートで集め『いろんな悩みが、税金で解決したかをみんなで見守る社会がいいね』という考えを抱いています。



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(*゚∀゚)っ


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以前の記事「もう見て見ぬふりはできない」はこちらに移動いたしました


〜ここに書きたいことは団体名を決めるまでのお話〜
少し話が長くなっちゃうかな。












「ねぇーばーちゃん。ばーちゃん。」





ばーちゃんは、深緑色の山盛りに置かれたズボンを一枚ずつ手にとっては、生地からはみ出ている糸を糸切りばさみで切る内職をしていた。
ばーちゃんが座って内職をしているところを見ると、すずはいつも安心した気持ちで近づいていった。





「すずちゃん、手伝ってくれるの?」
ばーちゃんはわざと、おどろいた声をだして、よろこんでくれた。
内職をてつだってばーちゃんにほめられるのが、だいすきだった。




糸を切っているあいだ、ばーちゃんはいろんな話をしてくれた。
むかしの友人の話、病気にかかって麻酔なしで手術をしたときの話、深夜に家をおいだされ、雪道をあるきさまよったときの話、お金がないときは外で何かを売ってお金に変えてから友だちと出かけた話。。。書いたらキリがないくらい、たくさんの話をしてくれた。すずは、最後はいつも、手をとめてぼーっと聞きいっていた。





ばーちゃんは、すずにほほえんで話をしてくれる人だった。でも戦争や日本の「おエラいさん」の話をするときだけは、だれかの顔を思いだしているかのように、うつむいたまま淡々と話をしていた。落ちてくる空襲におびえ、足がとまり、あやうく死にかけたときの話をきいたときは、本当にこわかったのを覚えている。「家族に名前を呼ばれ、ハッとして防空壕に入ったけれど、もしあと数秒おくれていたら、すずちゃん、今ここにはいなかったんだよ...」そう言われた。
「どんなにエラい人も、結局は同じただのにんげん」ばーちゃんはそう言って、少し怒っているような顔をしながら、はみ出た糸を切りつづけた。

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思春期になったころの私すずは、ばーちゃんとはべつべつの家で暮らしていた。

「おエラいさん=政治家たち」と理解できるようになっても、学校で政治の話をすることはなかった。というより、できなかった。だれも政治のことに興味がなかったし、政治の話をすれば「じゃぁ政治家になれば?」と言われた。ひとりぼっちになるのがイヤだったすずは、その日から、政治の話をすることをやめた。







すずは衝動的な行動をおさえられない子どもだったから、これ以上「変なひと」になるのが嫌だった。すずには「普通」がわからなかったし「普通」になれなかった。でもとりあえず「政治の話はもうしない」と、きめた。



大人になり、上京して一人暮らしをはじめてからは、自分自身と向きあう時間がふえていった。
それまでも心の中でずっと引っかかっていた「幼少時代に置いてきた何か」について考える時間が日に日にのびていった。そして、その「何か」が何なのか、すずにもわからなかった。





テレビは苦手だったから部屋には置かなかった。人と会話することも苦手だし、だれのことにも興味がなかった。自分の未来のことにも興味がなかった。ましてや「日本の政治」なんて、すずにとってはどーでもよかった。とにかくその日をただ、生きていた。








そんな私にある日、いっぽんの電話がきた。ばーちゃんが入院したという電話だった。久しぶりにばーちゃんに会った私は、病室にいるばーちゃんの背中をさすった。ばーちゃんは背中をさすられて「あ〜気持ちいい。すずちゃんだけだよ。背中をさすってくれたのは。ありがとう」と言ってくれた。私がばーちゃんにできた恩返しは、ただ背中をさすって自分の笑顔をまたばーちゃんに見せることだけだった。ばーちゃんは、手をのばして私の手を優しくつつんでくれた。
それから1ヶ月ほどして、ばーちゃんは亡くなった。







すずは、火葬場にむかう車の後部座席の窓から、山をぼーっと眺めていた。

すると本当に突然、自分が過去に「置いてきてしまった何か」が何なのかを悟った。

なぜ、あの瞬間に気がついたのか理由はわからない。けれど、その「何か」に気がついた途端、急に声を出して泣き出してしまった。



人前で声を出して泣くなんて、いったいいつぶりだろう。そしてどんなに恥ずかしくても、その泣く声や流れる涙を止めることはできなかった。






私が過去に置いてきてしまったものは「自分を愛する心」だったのだ。
それに気がついたあとの私は、火葬場でばーちゃんの顔が見られる残り最期の数秒間「ばーちゃん、ありがとう」と子どものように、何度も何度も伝えた。


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そして、私の人生はその日から大きく変わった。自分を愛する努力をしだした。「その義務がある」と感じたのだ。




自分の身体だけでなく心も大切にするようにした。心がズキッと傷んだら、その原因がなんなのか向き合って解決できる人間になっていった。
「私は幸せにならなければいけない人間なんだ」
まずはテレビを買った。今居るこの世界を知ろうと、いろいろなニュースに耳や目を傾けるようになった。




そして私は驚いた。政治家たちが、我が物顔でわたしたちが一生懸命働いて稼いだお金を私利私欲を満たすために利用している現実。問題を根本から見つめず、何も学ぼうとしない頭がかたい大人たちの言動、行動。私は、単純に「そんな世界にいることがイヤ」だった。自分を愛し、大切にしてくれた人たちに対して「この大人たちは、なんて失礼なんだ!」と憤慨した。






赤ん坊が泣くのは、自分の思いをうまく言葉にできず、「それでもこの想いに気がついてほしい」という理由で泣くのだとすずは考えている。そしてこれは、無意識に自分自身を大切にしているからできる行動なのではないだろうか。
すずも「こんな社会で生きていくはイヤだ!」と、赤ん坊のように拒否反応を示し、難しいことは何も考えずに「政治活動をする」と決意した。









そんなすずのこれから先の道は、きっと私の想像以上の犠牲や、苦労がでてくるのだろう。それでも、私には「幸せになる義務がある」。これは「ハッピーエンドになる義務がある」という意味とは少し違う。

災害時などにイヤというほど思い知らされるが「人とは、ときに無力であり、ちっぽけな生きもの」だ。
私の人生が最後バッドエンドであろうと、私自身が自分のことを大切にしようと想い続けていれば、それでいい、とすずは思う。




そして、自分のことを大切にしていなかった過去の時間にも、今は価値をみいだせている。そんな時間があったからこそ、私なりに政治に無関心な一部の方の気持ちが理解できているのも事実なのだ。








「幸せになる義務があるはずの人々が苦しんでいる」そうかんじる私は、いまの現状をムシできない。
同時に、価値観なんて人それぞれであり、自分の価値観が正しいとはこれっぽっちも思っていない。
ばーちゃんが言っていた「どんな人も同じただのにんげん」という想いに共感した私だからこそ、自分の小ささ、謙虚さを忘れることはけっしてない。


「団体」という言葉に、なじめない想いをいだきつつ、任意団体の名前は?と聞かれた私は「それじゃぁ.....「いちこくみん」でお願いします」と答えた。それが、いちこくみんの始まり。






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